「夜這い」文化の背後にあるもの:『夜這いの民俗学』(赤松啓介)より

著者紹介

著者の赤松啓介(1909年-2000年)さんは民俗学者で、階級闘争の視点とフィールドワークを中心とした研究手法で「非常民」の民俗学を開拓していった人です。とくに柳田國男の民俗学へは批判的で《そもそも柳田の方法というのは、全国からいろいろな材料を集め、自分に都合のいいように組み合わせるといったものである。(中略)僕に言わせれば、アホでもできるといういことになる。》(p.34)と辛辣。赤松氏の「夜這い」研究は、同じく民俗学者の大月隆寛によって再評価され、また上野千鶴子さんらフェミニストたちによっても賛同を得ました。

内容紹介

この本はもともと130ページたらずの単行本でした。読みやすく、体験的に書かれています。内容は「Ⅰ 夜這いの民俗学」(初出『新潮45』1990年10月号)と「Ⅱ 夜這いの性教育」(初出『現代性教育研究月報』1993年5・6・7・8・10・11月号)にわかれていて、「Ⅰ」のほうではじしんの体験したムラの「夜這い」について自伝的に語られ、「Ⅱ」のほうでは細かい節にわかれていて、こちらのほうがもうすこし論文らしい体裁です。

この本はすでに絶版で、いまは「夜這いの性愛論」と合わせた『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(赤松啓介/ちくま学芸文庫)で手に入れることができます。

本文では、前近代のムラでは「夜這い」がひんぱんにおこなわれていて、おおらかなムラの仲間組織のなかで、男も女も子どものころから性的な体験をしながら成長していくようすが語られます。著者の子どものころには、《夏の川遊びに女の子がよびにくるので行くと、女大将が鯨の一尺さしを渡して、みんなのもん計れと厳命》(p.51)したり、《当時の男の子はパッチ、女の子はコシマキだけだから、今の人には想像もできんだろうが》ちょっとでもしゃがんでいれば性器が丸見えになって《校長先生が中腰でのぞき込み、ソラ、見えとるぞ、見えとるぞとからかう。》(p.52)こともあったといいます。

ムラの成年式は13~15歳くらいです。《ムラでは十三歳にフンドシ祝い。初めて白布またはアカネのフンドシをする。このときオバとか、年上の娘が性交を教える。十五歳になると若衆入りで、すべての男が年上の女や娘から性交を教えてもらう。》(p.60)もちろん、これはあくまで「公式」なもので、もっと早くにおのおのが経験するのがふつうだったといいます。

「6 若衆への性教育 ― 筆下し」(p.69-77)は読んでいて、なるほどと感心しました。新入りの若衆を多くの地方では「日の出」といったそうです。

《夜、六時頃に仏堂に集め》て、かれらは年上の女性から性の手ほどきをうけます。《ムラでは人数だけの後家を集めるが、足りないと》くじや順番で不足を補います。《だいたい夕食を終わってから堂へ集まり、人数が揃うと堂を閉めてしまう。冬だから堂内は真っ暗くなり、僅かに本尊の前の大ろうそくだけが輝く。》そこで、くじをひいて割り当てを決めます。《組み合わせが決まるとならんで般若心経を二回唱える。後家さんたちが当たった若衆に暗唱できるよう教育する。(中略)それがすむと西国三十三番札所の御詠歌を合唱する。》

つまりは宗教行事の一環なんですね。《御詠歌がすむと、お前らは外で小便して来い、ようしぼって出すんやぞ、と若衆たちを追い出す。》このあいだに女たちは堂内を片づけます。《若衆を追い出すと女たちは掃除をして、フトンを敷く。五組ぐらいで満員である。すむとそこに若衆を呼び入れて組になってネヤに入る。(中略)入ると女が男をだきよせてやる。》

ここから「柿の木問答」という新婚の夜の儀式がはじまります。若衆の問いかけからです。《オバハンとこ、柿の木ありまっか。あるぜ。この間に女は帯をといて半身を裸になる。よう実がなりまっか。よう、なるぜ。サア、見てんか。》こうやって女のほうからリードして、若衆たちに性行為のやりかたを教えます。

どうしてこんなやりとりをするかについて、著者は《いままで真近で顔を見たことがない男と女が、いかに仏サマの前であろうと裸になって抱き合うのだから、お互いかなり抵抗があるのが当たり前で、こうした儀式でもないかぎり場がもたないのだろう。実演してみると、まことにうまい装置になっている。》(p.25-26)といいます。はじめての性行為の緊張感を和らげる仕掛けがあったり、これが宗教的儀式でもあったという指摘はおもしろいものです。

女の子の「初潮祝い」にも、知らないことがたくさんありました。階層によってさまざまですし、ひどい話もありました。

男も女も大人になれば「夜這い」の参加者になります。「夜這い」については、ムラごとに取り決めがあって、地域によりさまざまだったようです。《大きく分類すると、ムラの女なら、みんな夜這いしてよいのと、夜這いするのは未婚の女に限るところがある。つまり、娘はもとより、嫁、嬶、婆さんまで、夜這いできるのと独身の娘、後家、女中、子守でないと、できないムラがある。また自分のムラの男だけでなく、他のムラの男でも自由に夜這いにきてよいムラと、自分のムラの男に限り、他村のムラは拒否したムラとがある。他に盆とか、祭の日だけ他のムラの男にも解放するムラもあり、だいたいこの三つの型がある。》(p.92)

この本で語られる「夜這い」のエピソードは、人身売買や強姦などの暗い話もありますが、いわゆる「おおらかな性のあり方」がほとんどです。昨晩は隣の家の娘、今晩はあちらの嫁、明日はまた隣の家の嬶にしようと毎晩のように相手を変える男の話や、女の側から「だれそれがいい」だの「教えてやろう」だのと積極的にリードしていく場合もあります。

《私は昭和八年から十四年まで、東播七郡を中心に摂津、丹波、河内、大和、和泉、淡路の諸地方のマチやムラの調査をした。(中略)その頃のムラの男や女たちは夜這いくらいへっちゃらで、お前、今夜とまらんかと誘ってくれることもあった。オヤジ留守か。アホ、お前がとまるなら、オヤジ追い出したる。》(p.98)などと、むこうから夜這いをすすめることもしばしばでした。

語られるエピソードは豊富で、ときどき「本当かな?」と勘ぐりたくもなりますが、体験的フィールドワークからの記述には、納得するしかないようにおもえます。

批判、というか批判本の紹介

さて、この本は具体的で、わたしたちの常識をくつがえすようなエピソードが満載です。しかし、証言者の住む地域や年代があいまいで、学術的には弱いといわざるをえません。まちがっても、この本を読んで、かつて日本中でこんなにも「性におおらかな」時代があったのだと決めつけないほうがいいとおもいます。もちろん、著者も随筆ふうに書いているところをみると、そこまで厳密に論を展開するつもりがあったとはいえないため、つよい批判をしてもしょうがないとおもいます。個人的には、「おもしろい本だとおもうけど批判的に読むように」というあたりでしょうか。

もちろん《「夜這い」民俗の理解がなくて、村落生活を知るのは無理だ。とくに「性生活」など「夜這い」を欠いてはどうしようもあるまい。今、その記録化をすすめる。》(p.45-46)という意見には大賛成です。つまり、前近代の性風俗という事実の発掘、提示にかんしてはどんどんやるべきだとおもいますし、いまもすすんでいます。

でも、だからといって、「前近代の日本人は性に関しておおらかだった」という妙に前向きな評価をするのはやめたほうがいい、とおもいます。この点については、たとえば『改訂新版 江戸幻想批判 ―「江戸の性愛」礼讃論を撃つ』(小谷野敦/新曜社)所収の「「夜這い」美化批判」を併読されることをおすすめします。

ここで小谷野氏がいっておられる「江戸幻想」というのは造語です。定義を「序説 「江戸幻想」とは何か」(p.7-15)からかいつまんで説明します。

これが生まれたのは《バブル経済の最中であり、そのことは決して江戸幻想の発生と無縁ではないし、同時に女性の社会進出の趨勢がはっきりした時代でもあって、そのことも無縁ではない。それは、二人の若い女性学者の処女著作から始まったからだ。》といいます。

それは、1986年刊の『江戸の想像力』(田中優子/ちくま学芸文庫)と1987年刊行でサントリー学芸賞を受賞した佐伯順子さんの『遊女の文化史』(中公新書)です。これをきっかけに、日本における売春にかんする研究は、美化か糾弾かのどちらかに陥ってしまったようです。小谷野氏は《〈江戸ブーム〉のなかで近世文化に対する研究が、低いレヴェルで推移していることを憂いてい》ます。

佐伯さんの本は《別に近世文化を扱った本ではなく、ホイジンガの「遊び」論をバタイユ的なエロティシズム論で説明したもので、これもさほどの新味はなかったが、若い女性が遊女論を書いたということでマスコミは派手に取り上げ》ました。《佐伯は、柳田が中世以降の「遊女」について言ったことを近世の「女郎」にまで敷衍し、近世の遊女文化は女が作った文化だ、と主張した。》これはフェミニズムたちに売春肯定論ととられて批判されたようですが、小谷野氏はそれを《単純化しすぎている》と否定します。

《この著作の問題点は、中世以降の遊女に関する議論をかなり安易に近世に持ち込んだ点にあり、別にフェミニストではない大和岩雄(一九二八-)のような評論家からも批判されている》と指摘します。《だが、田中優子は、近世文化を近代的な視点から判断してはいけない、という立場から佐伯の著作を評価した。》ただし、このときは《単純かつイデオロギー的な「健全な」対立が生じただけだ》ったようです。

 

ところが、ここから10年くらいで《怪奇な現象》が起こりました。

《一部のフェミニストが、「近代批判」を遂行していくうち、あたかも「前近代」が女にとってより良かったかのような見方をし始めたということである。この動きを領導したのは、上野千鶴子(一九四八-)である。(中略)簡単にいうと、上野は、フーコー的な近代化論の方面から、日本文化に関して、近代が「性の抑圧」をもたらしたという説に傾いていき、結果としてあたかも近世に「性の自由」があったかのような語り方をするようになったのである。これは、階級的視点が抜けている点(中略)と、前近代における「性からの自由」(引用者注:「から」に傍点あり)の欠落を見落としていたという点で、「江戸幻想」に結果として加担するものになった。》

さらには、《マスコミにでることの多い上野、田中、佐伯らの文章や、これらに学んだ一知半解の「江戸論」が流布することによって、「近世は性の抑圧がなかった」というような俗説が広まったのである。それはあたかも、望みさえすれば好みの相手とセックスできたのが近世だったかのような、さらに歪んだ近世像へと変容していった。これが「江戸幻想」の行き着く果てである。》

そして小谷野氏はこういいます。《私の「江戸幻想批判」を一言でいうなら、「江戸幻想派」の言う「性の自由」とは、人身売買の末悲惨な短い生涯を終えた女郎たちや、セクハラの自由、強姦の自由、残酷な堕胎や里子制度などの子どもの人権の不在などに支えられているのだ、ということだ。》

まったく正当な意見だとおもいます。小谷野氏は「「夜這い」美化批判」(p.78-95)で、『ムラの若者・くにの若者』(岩田重則/未來社)の夜這い研究を紹介してこういいます。《一読して感心した。岩田は、柳田国男の『明治大正史世相編』の中の「恋愛技術の消長」という章などを含め、民俗学の世界では夜這いが美化されすぎてきたのではないか、と言う。そしていくつかの事例を挙げながら、夜這いといっても現代の私たちが考えるような自由恋愛ではなくて、若衆宿が娘宿を統制したり、娘は夜這いを拒否することができなかったり、不本意な妊娠をして私生児を産んだりということがあったと指摘する。そう、私が疑問に思ったのは、第一にそういう点だった。》と。

こういうことなどを頭において赤松啓介さんの本を読み返すと、いろいろと考えるところがあるとおもいます。せっかくなので、『日本売春史 ― 遊行女婦からソープランドまで』(小谷野敦/新潮選書)もどうぞ。

 

こちらは歴史書です。年表、索引付きで、参照するときに何かと便利です。日本の「性の歴史」について、具体的かつ詳細で、実証主義を標榜されているだけに、手堅い内容に仕上がっています。「よう、こんなとこまで調べるなあ」と感心してしまいました。文学作品からの事例もおおく、おすすめです。

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